- 事例紹介
- IT活用/データ活用
不動産業に長らく不可欠なものだった「紙」と「対面でのやりとり」。しかし、法改正によって電子契約やビデオ通話での重要事項説明(※)が可能になり、賃貸契約に関わる手続については、すべてオンラインで対応できる土台が整えられました。店舗を構えて顧客に接し、電話やFAXでの連絡が主だった不動産業のあり方は、大きな転機を迎えています。
今回取り上げるのは、コロナ禍の2021年に創業、規制緩和のメリットを最大限に活用してオンライン化を進め、事務・経理業務にもIT・デジタルツールを駆使する、沖縄不動産おきマーク合同会社(以下、おきマーク)の事例です。不動産業の新しいあり方を模索する、業務執行社員の高橋宏文(たかはしひろふみ)さんにお話をうかがいました。
※重要事項説明 契約者が契約前に不動産物件の情報や条件、注意点、契約に関わる法律などの内容を十分に理解できるよう、宅地建物取引士(宅建士)により行われる説明。対面実施が原則だったが、2017年10月からの規制緩和によりビデオ通話での実施が可能になった
長年、紙の書類が欠かせなかった不動産業。デジタル浸透には時間が必要
物件はネット上で選べるものの、重要事項説明は対面が必須で、書類への記入・押印を求められ、不動産会社に行くために手間と時間を取られてしまう。多くの方が、これまでに不動産契約手続きの煩雑さ、何度も足を運ばねばならない不便さを体験したのではないでしょうか。
2015年頃に始まった不動産業でのIT・デジタルツール活用の動きは、コロナ禍による非対面・非接触の必要性から一気に加速。契約関連書類への署名や押印、重要事項の確認・説明など、賃貸契約に関わる手続については完全オンラインでの対応が可能になりました。不動産会社のあり方は、大きな転換期を迎えていると言えます。
しかし、不動産業は高額の取引を伴い信頼関係も大切であることから、対面を基本に、紙を使った昔ながらのやり方で業務を進めている不動産会社も少なくありません。IT・デジタルツールにあまりなじみがない不動産オーナーも多く、不動産会社側が導入を行っても活用されにくいと予想されることも、不動産業がアナログから抜け出すことを阻む要因のひとつとなっているようです。
高橋さんは、IT・デジタルツールの導入にも積極的だった大手不動産会社の家賃設定部門での勤務経験者。求められる物件の条件は何か、どのように訴求すればいいか、という不動産の一丁目一番地の知識と経験を積み、様々なツール活用による自動化・効率化の効果を実感していたそうですが、同時に顧客との関係性の変化も感じていたといいます。
高橋さん
「対面や電話での接触が減るにつれ、不動産オーナーや借主との距離が開きがちになるのを残念に感じていました。IT・デジタルツールは絶対に必要なものですが、顧客との接点を無機質にする方向ではなく、効率化で得られた時間とリソースをあてることで、より丁寧なコミュニケーションやサービス充実に役立てたいと思ったんです」
自分なりの方法でより顧客に寄り添い、マーケティングにも新たな手法を取り入れたい、と考えるようになった高橋さんは退社を選択。2021年、おきマークを立ち上げます。
IT・デジタルツールを「使っていない業務がない」不動産会社
おきマークの創業当時、雇用したスタッフはゼロ、オフィスは自宅でした。高橋さんは、ひとりで業務をこなしていたそうです。それを可能にしたのは、不動産業務支援システム「いえらぶCLOUD」、経理や電子契約をはじめとした機能でバックオフィス全体を効率化する「マネーフォワードクラウド」、Web会議システム「Zoom」といったツールの活用による徹底的な業務の自動化・効率化でした。
高橋さん
「当時は賃貸物件仲介のみで、店舗を構える必要もありませんでした。対面ではなくオンラインでの説明や契約が可能になっていたことに加え、不動産取引や管理に関わる業務はもちろん、経理や事務もシステムに任せられるからこそ、ひとりでも可能だったと思います」
高橋さんは、不動産オーナーには物件の価値を最大限に引き出す価格設定で収入アップに貢献。借主には内見や重要事項説明をオンライン化し、電子契約も取り入れることで、来店不要・ペーパーレスの手間なく便利な契約フローを提供して契約までのハードルを下げるとともに価値を高め、着実に顧客を獲得していきます。
また、こだわり物件の紹介動画を無料で撮影・編集し、YouTubeで配信する取り組みも開始。熱意の伝わる動画が不動産オーナーの間で好評を博し、賃貸物件仲介はもちろん、管理や売買のオファーも増加します。管理や売買を行うには法律上事務所と固定電話・FAXが必須で、物件もかなりの数になったこともあって、創業3年目に従業員を雇用し現在の事務所に移転しました。
「使っていない部分はない」と高橋さんが笑うほど、顧客・物件管理や経理、勤怠そのほかありとあらゆる業務にIT・デジタルツールを活用し、必要なデータはすべてクラウド上に保管。一部手作業での対応も必要ですが、様々なシステムを組み合わせて情報連携を行い、相乗効果を生み出しています。社内の情報共有は共有カレンダーアプリTime Tree(タイムツリー)やLINEによっていつでもどこでもアクセス可能に。事務所機能は最小限に抑えられ、経費削減とともにテレワークにも対応できる環境が整い、雇用面でもメリットが生まれているそうです。
高橋さん
「ツールの機能や蓄積・可視化されたデータを活用することで、スタッフの経験が浅い、知識が十分でないといった場合でも業務の質を高く保てます。弊社はたまたま不動産関連の有資格者が多いですが、接客や施設管理といった必要なスキルを持った人材を、資格の有無や経験年数に左右されず幅広く雇用できると思います」
デジタル移行で手間は1/5に。不動産オーナーや借主にもメリット大
税務書類や帳票などの重要書類をデータで保存・管理することを認めた1998年の電子帳簿保存法の施行時、不動産取引に関わる書類のほとんどはその対象外となっていました。重要事項説明書や賃貸契約書などの書類の電子保存が認められたのは2022年の改正後。他業種よりおよそ25年も長く紙での保存が必須の業界だったのです。
おきマークは、業界のデジタル化への動きとコロナ禍による加速、スマートフォンやクラウドの普及といった時代の恩恵も受け、創業当初から新たな方法で業務を行っていますが、同業他社とのやりとりではまだ印刷した書類を求められる場面も多いということです。
高橋さん
「領収書などはマネーフォワードクラウドで発行・送信するんですが、長く紙での業務を行ってきた業界でもあり、他社さんから『FAXで送って』『原本を郵送して』と依頼される場合もあります。法律上データ保管で問題ない、と説明して対応いただきますが、難しい場合は印刷してお送りします」
デジタル化によるメリットは、不動産オーナーや借主に関わる部分で顕著です。毎月の家賃明細書、入退去のスケジュール、入居者情報や契約進捗など、不動産オーナーとのやりとりはオンラインが主。一緒にアプリをダウンロードしたり、画面を見ながら操作を教えたりといった工夫も合わせ、一部を除いて紙での対応は最小限になっているそうです。
借主にとっては、これまで何回も現地に通い、申込書や契約書などいくつもの書類への記入・押印、郵送などが必要だった手続きが大きく変わることに。現地や不動産会社に足を運ばず、ペーパーレスで終えられるため、遠隔地からの物件選定や契約も格段に便利になっています。
高橋さん
「沖縄県内の賃貸物件は現在供給が需要に追いついておらず、退去が決まるとすぐに次の入居者の契約手続きが進むような状況です。内見は撮影動画やライブ映像で行い、直前に初めて直接ご覧いただくことも珍しくありません。紙ベースの契約の場合と現在のフローを比較すると、手間と時間は1/4、1/5程度になっているのでは、と思います」
こうしてできた時間は、顧客とのコミュニケーションや草刈り・清掃といった物件管理の充実、データ活用やマーケティング施策考案などにあて、さらなるサービス・生産性向上が図られています。
DXは時代の流れ。自社の価値を理解し、可視化するためにも取り組むべき
今後は、借主と不動産オーナーが直接取引を行う流れになり、不動産賃貸仲介業は縮小・廃止されていくと考えている高橋さん。「不動産オーナーの信頼を得、管理戸数を増やしていくことが生き残る道」と語ります。
そのために、サービス向上や効率化に加えて力を入れているのが、蓄積されるデータの分析・活用。不動産の価値を最大限に引き出す工夫によるオーナーの収益アップ状況の可視化といった実績のPRはもちろん、自社でも物件を所有・運用してデータを集め、家賃・売買金額査定やマーケティングへフィードバックしていく試みも進んでいます。
また、管理・仲介・売買など不動産に関わるすべてをひとつの企業が担うのではなく、賃貸契約はA企業、管理修繕はB企業、営業はC企業、といったように、複数の企業が分業・協業する方向に変わっていく未来も見据えます。おきマークでもすでに離島にある物件の管理は委託しており、さらにそうした流れは加速すると考えています。
高橋さんは、業界全体のIT・デジタル化、ひいてはDXにも積極的に取り組んでいます。オンライン化が進む中でもネックとして残りやすかった家賃保証申込フロー、入居前後の費用引落手続きなどでトラブルが起きた場合、管理会社へ直通で通知が飛ぶ仕組みのアプリ化などについてもIT企業にアドバイスしているのだそうです。
高橋さん
「DXは時代の流れで、不動産業もどこかで必ずこれまでの体制を変えていかなければならないと思うんです。DXが進んでいないと、事業承継にも影響が出ます。後を継ぐ人がいなければ廃業も視野に入れなければならない。そうなったら、信頼して物件を任せてくれていたお客さんはいったいどうなるでしょうか。
M&A(企業の合併や買収)の選択もできますが、その場合企業価値を高めておくこと、経営上の数字に加え、築き上げてきた顧客との信頼関係といったものもデータとして伝えられる状態にしておくことが必要です。
自社の価値を整理し、査定するためにも、まずは重い腰を上げて、IT導入に使用できる補助金なども利用しながら、1カ月、2カ月取り組んでみるのがいいと思います。そうすれば必ずその先が見えてきます」
自社の価値を整理し、理解するためにも必要なDX。これまで引き継いできた業務の方法を「より効率的に進めるにはどうすればいいか」と見直すことから、その一歩は始まります。